家族から、「死ぬなら癌がいい」と言われた話。

 
以前、一人の40代女性の乳がん患者さんを看取った。
非常に献身的な旦那さん、両親、子どもたちに囲まれて、病棟で亡くなった。
 
最後の表情は、穏やかそのもので、今にも話しかけたら返事をしてくれそうな安らかな表情だった。
 
お見送りを終えたあと、旦那さんとの別れ際にこんなことを言われた。
 
「なんか変なことを言ってると思われるかもしれないですけど、
死ぬなら癌がいいですね」
「最期の時間までに、十分すぎるほど心の準備をする時間がありました。再発がわかってから、夫婦で、家族で色んなことを話し合う機会があったんです。」
「本当に〇〇(当院)で看取ってもらえてよかったです。ありがとうございました。」
 
非常に心に刺さる言葉だった。
目のまえで最愛の妻を癌で亡くした直後にも関わらず。
 
 

終末期は、家族も体力勝負

終末期は、付き添う家族にとっても体力勝負だ。
最期まで付き添いたい気持ちと、いつ最期の時が訪れるかがわからない見通しのつかなさの故に、どうしても家族は病棟に貼り付け状態になりがちだ。
我々医療者も、ある程度の予測はできるものの、やっぱり正確な時期まではわからない。
 
適度に休息をとっていただきながら、家族にとっても体力的な理由で、貴重な時間が辛い時間にならないよう、極力気をくばるようにはしている。
 
この方も数日にわたり厳しい状態が続き、家族にも疲労の色が見えていた。しかし、最終的には暖かく家族に見守られて息を引き取っていった。
 
 
今回の事例では何がよかったのだろうか。
再発してからの経過で、比較的症状コントロール自体がうまくいっていたのはあるかもしれないが、決してそれだけではないだろうし、この方に関しては医療の影響はさほど大きくないと思っている。
 
以前アドバンスケアプランニングについてはテーマにあげたことがあるが、

mammamimumemo.hatenablog.com

 
これがうまくいっていたともいえるのかもしれない。
なによりも、
 
本人も家族も いい意味で病状の受け入れができていたこと
本人も家族も 最期の時までに気持ちもやりたいこともきちんと準備してきていたこと
 
これが大切だったように思う。
 
厳しい状況が続いた中で、家族(特にこの方の場合は夫婦)でよく話し合って自分たちが納得出来る選択をし続けてきた姿が印象的だった。
 

人はいつかは死ぬという事実を本当に認識していますか?

今や3人に1人は、癌で亡くなる時代だ。
もちろん、死というのは辛いできごとであることは違いないので、あまり考えたくないということもよく理解できる。
しかし、必ず全員に訪れるという事実も間違いない。
にも関わらず、どこか他の国の出来事のように捉えられてしまっている節がある。
 
この事実は、もっと広く認識されなくてはならない。
癌による死というのは、他人事ではない、あまりにごくありふれた話なのだ。
 
何事も準備が大切だ。
我々がどんなに力を注ごうと、患者さんが、家族が、国民が “それぞれにとっての良い死”を考えて実行できなければ、なかなかうまくはいかない。
 
終末期の医療は、医療者と本人だけが頑張っても良い結果を生むことは難しいのだ。
 
時に、交通事故や心筋梗塞などであっという間に命を失ってしまうこともある。
良くも悪くも、人が癌で命を落とすまでには時間を要する。
少しでも、辛い時間が長くなったと言わせないよう、我々は様々な技術を磨かないといけないし、医学を進歩させねばならないが、
この時間の過ごし方で、その人の人生は大きく変えられる。
もし、この時間がうまく過ごせるのであれば、「死ぬなら癌がいい」と私も思う。